2011年01月10日

序:兄信長(3)

私たち兄妹は幾つもの戦、幾つもの焼け野原を見てきた。男とも女とも知れぬ屍を超え、実り間近で焼け払われた村を見た。裏切られて燃え上がる城、昵懇にしていた近隣の領主が一夜にして滅亡するのも見てきた。兄も、私も、いつしかあのような業火の中に消えるのだろうか。人は何時まで明日をも知れぬ中で生きていかなければならないのか。

私はいつも絶望していた。兄と同じように。

兄は私のように、ただ絶望に身を委ねられる立場ではなかった分、余計に辛かったと思う。兄は私よりはるかに繊細なのだから。

◇◇◇

兄の葛藤は深かった。そのうちのいくつかの断片は、人々の口に後の世まで物語られることとなる。


兄は、兄なりに、主を押しのけてのし上がるやり方が本当に人の道に沿うのか、己の生き方として相応しいものであるのか、命を懸けて悩んでいた。後年、美濃稲葉山を手に入れたときのこと。兄はやはり、妙心寺の沢彦(たくげん)和尚の元に籠もった。稲葉山は兄の義父、下克上を繰り返した挙句、わが子の手に掛かって滅亡した斉藤道三の城、戦国の世の象徴のような城であった。

沢彦和尚と兄は、いつもの言葉少ない問答を交わしていたのだと思う。和尚の指し示した答えは、「井の口を岐阜とせよ」であった。

岐山は昔、中国の文王が先代の王を倒して奪った場所、岐阜はその岐山に因む。つまりは、上に立つものがその器でないならば、それを倒すことこそ、理に適うものである、和尚は兄にそう説いたのだった。

正しい、正しくない、の尺度はいつも非常に曖昧だ。兄はこの言葉に一縷の望み、救いを見出したのであろう。しかし、その後、兄がたがが外れたようになっていったのも、この沢彦和尚の言葉が切っ掛けではなかったかと思う。

posted by 臥待月 at 10:57| Comment(0) | 市の巻 明日紡ぐ者 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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