2011年01月10日

序:信長の妹

私は兄のほとんど唯一の理解者、心からの信奉者だった。兄の側室は女として兄の側に侍っていたけれど、兄の心を理解することはなかった。他の人間にとって兄は、ムラ気で怖いだけの存在だった。兄に這い蹲(つくば)って兄の信奉者を自称してやまない木下籐吉郎でさえ、兄の心を理解していたわけではない。木下はただ、兄の行動をよく観察し、兄に取り入る方法を、一番正確に計算できるにすぎない。

私はそんな木下が大嫌いだった。姿の醜さではなく、心の醜さに身の毛がよだつ。木下が私を欲していることを知っているから、なおさらなのかも知れぬ。

木下にとって私は、権力の象徴であり、欲情する身体の持ち主であり、あわよくば兄との絆。それが私には反吐(へど)が出るほど見え透いていて嫌だったのだ。「市殿、大切にしますぞよ。」と戯(たわむれ)れを装って言い寄るけれど、一体何が大切にするということなのか。金品を与え、ちやほやと甘言と醜い笑いを私に向けることか。それとも他の側女(そばめ)のように下卑た話で汚く笑わせることか。私を見ずして、私の心を知らずして、何を優しいというのか。

そんな想いを知ってなのだろう、兄も木下がどんなに望んでも、私を嫁に、という話だけははなから相手にしなかった。それどころか、私の思いを知っていたから、他の誰にも嫁がせようとしなかった。


私は自分が戦国一の美女といわれているのを知っている。元来織田の一族は、色白く、身体はしなやかで手足が長く、切れ長で涼しげな目元と艶やかな髪、華のような唇にすっととおった鼻筋を持つ、美男・美女の家系である。私も織田の血筋をしっかりとひいていた。

長身も織田の血筋で、私も女としては少し大柄であるが、それでも私の容姿は男を惹きつけてやまぬことを知っていた。

あるときには、私がいるとも知らず、兄の家臣が私を犯す妄想を酒の勢いで話していたのを聞いたことがある。私は血が逆流するかと思うほどに腹立たしく、身の毛がよだった。件の武将は、私の話を聞いて、烈火の如く怒った兄に手打ちにされた。私はひどく悔いた。そうだ、兄の気性であればこうなることはわかっていなくてはならなかった。


この気性の荒さだけは、織田の血筋ではなく、兄と私だけのものらしい。似ているから理解し合える。二人ともさびしく、毎日が苦しい者同士。そう、私も兄のように派手に暴れることは出来なかったけれどさびしく、もろい、理解されぬ存在だった。女だてらに、、いつもそういって周囲は私の気の荒さをいさめた。「よいではないか、のう」そういってくれるのは兄だけだった。

そんなわけで兄と私は、周囲がいぶかるほど仲がよかった。兄はよく私の部屋に来て、時には夜通し帰らなかった。兄の苦しさ、寂しさを見かねて、「市がおります」と思わず胸にだいて慰めたところを小姓に見られたらしい。いつしか兄は「たわけもの」、つまり戯れが過ぎるもの、すなわち妹に手を出したもの、と他国では揶揄されるようになった。さすがに自国の領内では「うつけ」どまりであったけれど。

私は兄から渡された忍びの手下を幾たりか使っていた。だから城下の村童の流行から、隣国大名の動向まで、一通りのことは知っていた。忍びの手下は女が多い。兄は私だけを信頼し、私を心配したこともあって忍びをつけたのだった。忍びは兄に逆らわない限りは私の命令には何でも従った。市中や世のことを知る重要さをもっとも知っていたのも兄だった。だから兄は私に忍びをつけたのだと思う。

私は決してかごの鳥ではなく、兄いついで市中のことは知っていたと思う。兄は私にとっては、ある意味同士であったのだ。

私の思いを兄が知るからだけでないく、同士を手放したくないから、という兄の思いもあったろう。「なまじっかなやつには渡せない。」そんな兄の心配もあったと思う。

行きたくない妹と行かせたくない兄。私の婚期が遅れるのも当然だった。

posted by 臥待月 at 21:49| Comment(0) | 市の巻 明日紡ぐ者 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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