2011年01月12日

破:江北の鷹(2)

永禄6年(1563年)、私と兄は、浅井の出城、近江佐和山目指し、山間の街道を進んでいた。
この年、浅井長政は六角氏のお家騒動に乗じて南に領土を大きく拡張していた。このため、織田の領国尾張と浅井の領国近江の行き来は格段によくなった。最初の密会から2年が過ぎていた。その間、相変わらず美濃攻略に手を焼いていた兄に対し、長政は着実に領土を拡張し、一大大名となりつつあった。

◇◇◇

近江佐和山は、江北の浅井氏、江南の六角氏の領地境の城。今でこそ浅井の出城であるが、東山道、北国街道の主要街道を控えた要衝の地、浅井・六角の両家は昔からこの佐和山を巡り抗争を繰り返してきたのだ。

しかし、浅井長政の名を世に知らしめた野良田の戦い以降は六角氏の勢いは影をひそめ、今このときは、そんなこの城の越し方を感じさせぬ、のどかな日を迎えていた。私は、兄信長の浅井長政との密会に付き従いこの佐和山の城にいた。兄は、私を侍女と偽って伴ったのだ。



「織田弾正忠(だんじょうちゅう)殿、ようこそお越し下された。殿がお待ち申してござる。」

東山道に面した大手門に浅井の家臣が並んで兄を出迎えた。

「かたじけのうござる。」

浅井の家臣に兄は丁重な礼をつくした後に、突然言った。


「ときに。本日は、もう一人、備前殿にお目にぜひお目にかけたく、つれて参った者がある。
 これ、挨拶申し上げよ。」

兄に応え私はしずしずと進み出た。

「妹の市にございます。」

「こ、これは、これは、、」

壷装束の市女(いちめ)笠をぬいで挨拶をした私をみて、
浅井の家臣は一様にどよめき、応対の武将はすっかり狼狽(ろうばい)していた。

「備前殿にどうしても引き合わせたく。失礼の段、お許し召されよ。」
 
兄が私にだけわかるいたずらっぽい笑顔を満面に浮かべる。


昔、家督を継いだ直後の兄は、「織田が嫡男、いかほどのものぞ」と品定めにきた舅の斉藤道三を、おおうつけから突然、正装に変わり身し、一分の隙もない作法で応対し、驚かし、翻弄したあげく、ついには「ああ、我が愚息どもは織田が門前に馬をつなごうぞ」といわせた。門前に馬をつなぐ、つまり斉藤道三は、自分の息子たちは兄の家臣として、呼びつけられれば駆けつけるような身分になるといって嘆いたのである。これは兄を守り立ててきた古くからの家臣には胸のすく思いであったようで、以降、何かにつけ織田家内の語り草となっている。

今の兄は、そのときと多分同じ。これはいたずらっぽくはあるけれど、その実、計算しつくした、相手を自分に飲み込む演出なのだ。となれば、兄は本気。私は気を引き締めた。おそらく私の振る舞いに織田の命運がかかっているのだ。兄のそんな策略の手助けができる高揚感も私の胸を躍らせた。美しく、聡く、隙のない織田の女を演じて見せ、浅井に織田の印象を強烈に植え付ければよいのでしょう?

私は、微笑を浮かべ、兄に目で合図を送った。

(兄上、大丈夫、ご期待にお応えいたしましょう。)

兄が満足そうにうなずいた。


◇◇◇


佐和山から望む近江は、美しかった。
取り囲む青い山並み、その中にひときわ高くそびえる伊吹山の威容。その背景には美濃の山々。そして、その反対側にきらきらと光るのは近江の土地の名のもととなった淡海(あわうみ)。湖面越しには、はるか、山城を望む。尾張の見渡す限りに広がる平野しかしらない私には、はじめてみる美しい光景。だが、不思議と懐かしいような、安らいだ心地にさせる風景だった。

「美しい国、、、」

思わずもらした私に兄が言った。

「東山道と北国街道を控え、淡海の水運を束ね、京、越前、美濃、尾張を望む。
 近江を制するものはこの国をも制す。
 市よ、近江こそ、この国を束ねる要衝の地ぞ。」

兄には佐和山からの眺めもまったく違ってみえるようだった。
そのとき、声がした。


「殿、お着きにございます。」


◇◇◇


その青年大名は織田の血とはまた少し違った趣の美しさを漂わせる凛とした美丈夫だった。眉は細く、唇が薄い。けれど女のようなしなやかで美しい顔(かんばせ)がきりりとしまっている様子は、誰をも惹きつけてやまない気品に溢れた雰囲気をかもし出していた。


「織田弾正忠殿、弾正忠殿妹御、遠路ようこそお越し下された。」

青年大名は、礼を尽くした挨拶で兄を私を迎えた。ふと、目があった。そしてほんのわずかな時間だけれど、確かに見つめあった、そんな気がした。

それからしばらく、兄と青年大名の話にところどころ私が話を挟む形で話が続いた。
話は互いの領国の様子、世の情勢のことから、連歌や茶の湯といったことまで、一見とりとめなく続いた。兄の話題にそつなくついてきては、さらりと応え、それでいて兄の神経を逆なですることのない、青年大名の博識さと聡さに、私は舌を巻いた。兄以外にそうした男はそういるものではない。織田家臣なら明智光秀くらいか。出すぎないよう細心の注意を払いながら、ところどころ質問をしたり、意見をまぜたり、話題を提供したりしていた私も、いつか二人の話に引き込まれていた。

私はこの青年大名に好感を持った。何か安心できる、戦国の世に殺伐としない清清しさを讃えていた。それは兄も感じていたのだろうと思う。

「市よ、長政はいかがであったか」
帰り道、私に問うた兄に
「なかなかに、器量の大きな見所あるものとお見受けしましたが」
と応えると、兄は
「そうであろう、そうであろう」
と目を細めた。こんな兄の表情は、初めてみるのではなかろうか。


そして、清洲に戻ると兄はいった。

「市よ」「はい」「そなたいくつになった」
「最近兄上はそのお話がお好きでございますね。市は嫌いでございますのに。」
兄はそんな私の言葉をまるで聞かずに言った。
「浅井に嫁げ。」
私は一瞬言葉を失った。まさか兄が私を手放そうとしている?!

「いつまでも俺の元にいるわけにもいかぬだろう。
 そなたは戦国の姫、だが俺にとっては大切な妹。単なる手駒では断じてない。
 長政はそなたをまかせるに足りる男とみた。
 正直言えば今、織田の足元を固めるためには、浅井との同盟が喉から手が出るほど欲しいのも確かだ。
 市よ、俺もそなたを手放すのはやすやすと受け入れられる話ではないが、
 だからこそ、そなたを託す男は、長政をおいてないと思うたのだ。」

兄は押し黙った。考え抜いた末の結論なのだろう。自国の安泰を言い出したのは、本当でもあるし、兄の計算でもあるだろう。ただ、「お前の幸せのため」といわれて受け入れるような妹ではない。けれど「領土のため」といわれれば、断れるような妹でもないのだ。戦国の女である以上。

「謹んで、お受けいたしましょう。」

私は静かにそういうと、兄の許を辞した。
最初から、、、決まっていたのだ。だから兄は私を伴ったのだ。。。
これは私の見合いだったのだ。はりきっていた自分が馬鹿にみえた。
やはり私は兄の前では子供なのだ。
いろいろな感情がいりまじって、、、私は少し悲しかった。



※江北 今の滋賀県の北部、江南 今の滋賀県の南部
※備前守 浅井長政の通称
※淡海 今の琵琶湖
posted by 臥待月 at 23:16| Comment(0) | 市の巻 明日紡ぐ者 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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