2011年02月02日

破:手折られぬ花(2)

昼は何くれとなく気を使ってくれるものの、夜の渡りは一度もなく、親しい会話も何もない。そんな様子で一月も過ぎただろうか。

女として、かつ、政的な手駒として。思えば私は無意識にさまざまな不安と、、、そしてある種の期待も持って嫁いできたのだと気づく。しかし、当初はあった緊張も今や保つのが難しくなってしまった。それほどに、小谷の日々は穏やかだった。今までのように自由に動くことはままならず、忍びの手下から市井の状況を聞く機会も極端に減った。一体私は、何をしにきたのか。こんな短い期間でいったい私はどうしてしまったのか。

この一月は私には果てしなく続く牢獄にも感じられた。かといって、、、兄の顔がちらつけば、あまり無茶もできない。以前ならあった「私のすることであれば、兄は何でも許してくれる」という無邪気な自信も、浅井への輿入れが決まってからの兄の態度で今は揺らいでしまっている。

私はすっかり腑抜けてしまい、小谷の景色を眺めながらぼうっとしていた。


先ほど侍女が「殿がご機嫌伺いにいらっしゃる」と告げに来た。

長政はこうした筋だけは通す、まめな男である。それがかえって私を苛つかせていた。信長の妹だから、断れずに頂いた、結局そういうことなのだろう。いや、それがこの時代の正当な夫婦のあり方だ。嫡男は残さねばならぬはず。ならば、そのうち夫婦となるのではあろう。いや、、、やはり、このまま捨て置かれるのか、、、。

私の脳裏に兄の正室、濃(のう)の方の姿が浮かんだ。

政略結婚のために送られた女、兄を見抜いてしまったからこそ、心通わせぬことを決め、それでも政略のため、離縁することもままならず、そうしているうちに実父は実兄に滅ぼされ、その実兄すら今はなく、帰る場所を失った濃の方。孤独に生きていた兄嫁。だのに兄嫁は私に向い、「本当に寂しいのは私ではなくあなたのお兄様ではなくて?」と言い放った。


「姫様、殿のお渡りでございまする。」私は居住まいを正し、傅(かしず)いて待った。じきに長政が入ってきた。

「姫様にはご機嫌うるわしゅう。」いつもの挨拶。この後、当たり障りのない話だけれど、この青年の博学と、溢れる才気を感じさせる世間話が続くのだ。隣国の話、領内の様子、城中の出来事、時には珍しい手土産を携え置いて帰ることもあった。どれもこれも、この青年の瑞々(みずみず)しい感性と才能を感じさせ、私は、話自体は好ましく、面白くも思っていた。

けれど、、もうこうした形だけの話はうんざりだ、、、。どういうつもりでいるのか。白黒つけずに置かない性分がむくむくと頭を持ち上げていた。なんとおろかな女だったのだろう。


「殿。」話をさえぎって呼び止めた私に長政は言葉を止めた。別に驚くでもない、怯えるでもない、ごく自然な佇まいに私は苛つく。

「殿、私の輿入れからもう幾年でございましょうね。」私は嫌味のつもりでそう問うた。
「さて、いかほどでございましょうか」長政は特に驚いた様子もなく、さらりと応える。

「正室の婚儀の日をお忘れか。」言葉を少しだけ荒げて問いただした私に、長政はちょっとおかしそうに
「はて、先に問うたのは姫ではござりませんでしたか」とまたしても、さらっと返す。
、、悔しい、、、。

「察するという心根をお持ちではないと見えますね。ここ小谷のお方は。」
「これは、これは。姫には何ぞご無礼仕りましたか。山育ちの無骨者にて、ご免下さいますれば。
 至らぬ点ございますれば、どうぞお叱り下さいませ。」
飽くまで慇懃だが、少し笑いを噛み締めているような長政の態度に、私は拳を握り締めたままふるふると悔しさのあまり震えだしてしまった。私にこんな失礼な物言いをする男は今までにいなかった。

「では、はっきりと申しましょう。長政殿はこの市を、どう処されるおつもりか。
 この一月、私がどのような心持でおったか、そなたわからぬとはいわせぬぞ。答えて見よ。」
「、、、正室としてお迎えいたしておりまする、、、。
 というお答えでは、ご満足いただけないのでしょうね、姫。」
突然口調が代わり、先ほどとはうって変わって微笑みの消えた長政の顔があった。

「では、問いましょう。姫こそどういうお気持ちで長政にお輿入れなさいましたか。
 お兄様の命で仕方なくではござらぬか。
 姫様のお噂はかねがね聞き及んでございまする。
 今まで幾多の婚儀を潔しとせず断られてきた由、その心根の中に何がございまするか。
 姫ほどの美しさであれば、惹かれる男はあまたございましょうに。
 なぜ長政のもとに参られた?
 政略として心ならずもお越しいただいたのであるならば、
 長政そのお気持ちのみありがたくお受けいたしまする。
 姫は正室として大切にお守りし、信長殿は義兄として大切に敬いましょう。
 姫の気高きお心、手折るような不埒はいたしませぬゆえ、ご安心召されよ。」

、、、、負けた。。。呆然とした私がやっと思い浮かべた言葉がそれだった。
この男、お兄様の臣下として仕えていたどの男より遥かに懐の深い男なのだ、きっと。


固まる私の前で、長政はまたもとの微笑を讃えた青年に戻っていた。

「姫様、本日はこれにて失礼仕る。お気を損ねた段は平にお許しを。」
飽くまで信長の妹として、正室である私を一段高く接する男に私は声をかけた。

「長政殿、礼を申す。
 また明日からもお立ち寄りいただけようか。」
なぜそんな言葉がでたのかわからない。
けれど私の言葉に長政はにっこりと微笑んで
「無論、お立ち寄りいたしまする。」
そう応えて去っていった。

posted by 臥待月 at 09:23| Comment(0) | 市の巻 明日紡ぐ者 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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