2011年01月11日

繖山(きぬがさやま)

昔、近つ淡海(ちかつあわふみ)といわれた近江の国の東、笠を伏せたような美しい山、繖山(きぬがさやま)がある。繖山は天覆う天蓋、太古の昔からこの山は祖霊崇拝の社がおかれた信仰の山だった。飛鳥の頃には、その頂には聖徳太子ゆかりの観音正寺(かんのんしょうじ)が配された。

戦国の頃には、繖山はこの寺にちなみ、観音山と呼ばれていた。戦乱の中、近江の国の山という山には山城が築かれた。繖山には有力戦国大名の名門六角氏の戦国最大といわれた山城、観音寺城が置かれていた。

かつてそこに、、その観音寺城に、、、、
戦国の世の中の移ろいの中で、儚く消えた少女の想いがあった、、、。
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繖山の天女(1)

遠ざかる小谷(おだに)を振り返りながら、登代(とよ)は初めて泣いた。
一度涙がこぼれてしまうと、後は堰を切ったように、とめどなく、とめどなく、
澄んだ雫が白い顔(かんばせ)を伝った。


あの日、、、。幼い日。

屋敷でであった凛々しい少年に、登代はひと目で心奪われてしまった。
涼やかな目、柔らかくほころぶ口もと。

けれど登代はまだ日もあけやらぬ早朝に、
少年が取り付かれたように一心に剣を振る姿も知っていた。
昼間とはうって変わって、少年は荒々しく、その姿は触れるものを焼き尽くすように激しかったが、
粗暴さは微塵もなく、むしろ神々しくさえあった。

気付くと登代は少年の姿をいつも追いかけていた。
傷ついて迷い込んだ小鳥をやさしく介抱し、山へ放してやる姿。
まだ言葉もしゃべれぬ登代の弟たちに、愛しみのまなざしを向け、やさしくほほをなでてやる姿。

「この方は、、、菩薩様ではないのかしら。」
登代は本当にそう思った。

初恋、、、であったと思う。


登代は以来ずっと、その少年を慕い続けてきたのだった。
少年は隣国の領主、浅井の嫡男で、浅井から人質として佐々木六角氏に送られてきていた。
少年はじきに実家の小谷との間の行き来を許されるようになり、
登代の住む六角氏居城の観音寺城で見かけることは少なくなった。

それでも、運よく姿を見かけたときは、登代は一日中うっとりと幸せだった。


「あの方にふさわしい女になりたい。。」

登代は、あてもないのに、懸命に琴や舞い、歌に励み、教養も身につけた。
いつしか登代は、観音寺城一の美女として、父自慢の掌中の珠となった。
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繖山の天女(2)

運命というのは不思議なもので、その少年に輿入れがきまった、と聞いたのは突然だった。
しかし登代はすぐ、この婚姻が浅井家には歓迎されざるものであることに気付いた。

登代は六角義賢(よしかた)の重臣、平井定武の娘であり、婚姻は長年争い続けてきた浅井の六角家忠誠の証としての政略結婚であった。少年は元服し、賢政(かたまさ)と名乗りをかえていた。義賢の名の下の字を自分の上の字としてい頂く。これは臣下としての忠誠の印にほかならない。

六角氏臣下の娘との婚姻、義賢の字の拝領、それは大名であった浅井が六角家の一家臣となるという意味なのだ。観音寺では従順を装っていた浅井だが、家中では六角家からの扱いに対する長年の憤懣が鬱積していた。


「それでも、、たとえ歓迎されなくてもいい。
あの方のお側にいられるのならば。近くであの方を見ていられるのであれば。」

登代はじっと耐えた。

一度も渡りのない賢政のことを親に告げもせず、ただひたすら時折みかける賢政の姿を心の頼りに、敵陣のような浅井屋敷で日々を暮らした。


「一生懸命おぼえた歌も舞いも、あの方は見ては下されないけれど、
 それでも私は今確かに、あの方のお側に暮らして、こうして覚えた舞を舞っている。。」
目を閉じると賢政の姿が浮かび、登代は自然と笑みがこぼれた。

舞っている間は何もかも忘れて、ただ、賢政への想いに身を委ねていられる。
表面上あからさまにひどい扱いをうけることはなくとも、追いやられるように離れに暮らし、
どこかよそよそしい扱いに緊張した毎日の中、
賢政を思って一心に舞うこのときが、登代にはつかのまの幸せのひとときであった。


そんな時。
たった一度だけ賢政が偶然通りかかった。

一体いつからそこにいたのだろう。
「すまぬ、脅かすつもりはなかった」
という愛しい人の声。

ああ、、、、焦がれた人が確かにここにいる。。。
登代は緊張して顔が上げられなかった。
だのに、、、。賢政はじっとこちらを見つめているようなのだ。
どきどきとして、胸は締め付けられ、気が遠くなりそうだった。

「そなたの舞い、みごとであった。」 
賢政は確かにそういった。


もう何を答えたのか、覚えていない。
ああ、、、。今まで舞を覚えてきてよかった。
登代はその賢政の一言で、何もかもが報われた気がした。

たとえ、、、これが最後でも。。。
一度でもお見せして、褒めていただくことができた、、、。

いつの間にか涙が溢れてきて、登代はますます顔を上げられなくなってしまった。
精一杯の微笑で、愛しい人を目に焼き付けたいのに。。


賢政は行ってしまった、、、、。
それが、最初で最後のあまりにも短い逢瀬であった。


以来心なしか賢政も登代を気にかけてくれているような気がした。
もしや渡りがないかと、少しだけ期待してみたけれど、、、そんなはずもなかった。


そしてついに、その日は来た。
永禄3年、登代は1年の短い結婚生活を終え、実家の平井に送り返された。
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