2011年02月01日

破:手折られぬ花(1)

江北小谷の里は豊かな瑞穂の海がどこまでも続く先に、きらきらと近江の淡海(あわうみ)が光る美しい里だった。なびく稲穂に鶴や鴻が舞い降りる。ここ近江は小国ではあるが、淡海のたたえる水と山々の神々の神気を受け、古来他国に比類ない肥沃の地であった。

その畔に鷹が双翼を丸め休むんでいるかのような小谷山がある。ここが、浅井の居城であった。鷹の頭に当たる頂上に、ひときわ大きな砦が築かれ、そこからふもとの清水谷を抱きかかえるようにのびる双翼の尾根には、堅固な砦が点々と連なる。浅井の居城、小谷城は、この国随一の難攻不落山城といわれていた。その双翼に抱かれた清水谷の奥へ進む道を、私の花嫁行列がしずしずと進む。浅井屋敷は、清水谷の奥に壮麗な館として聳えていた。

◇◇◇

「織田弾正殿妹御、浅井へよく参られた。」傅(かしづ)く私に青年大名は涼やかに言った。
「道中大儀であった。婚礼の儀は明日からとなる。今宵はゆるりと休まれよ。」

申し分のない労(ねぎら)いの言葉、行き届いた心遣い。私は心づくしの饗応を受け、下にもおかぬもてなしをされた。

しかし。

青年大名は、決して私に必要以上に近づかなかった。節目、節目で私を気遣い、臣下に命じ風を避けるために衝立を動かさせたり、白湯をもってこさせたりと細やかな心配りをしてくれるのだが、それ以上のことは何もない。親しく話しかけてくるわけでも、側に寄る訳でもない。これが夫婦というものなのか。私は少しだけれど、心に隙間ができていくのを感じた。

それは次の日も同じだった。華やかな婚礼の宴を終え、褥を整えられ、緊張した面持ちで控えていたというのに、長政は気軽にすっと入ってくると「疲れたであろう、休まれよ」といって寝てしまった。私はすっかり肩透かしに会ってしまった。

婚儀が終わってからは寝所には顔を見せることもなくなった。昼間はさりげなく気遣い、なにかと言葉をかけてくる。正室としての面目をきちんと立てた扱いも受けている。しかし夜の渡りはまったくなかった。私は嫌われているのだろうか。それとも浅井に何か深謀があってのことか。

仕方あるまい。夫婦といえど本当のところは人質の身。私は浅井に預けられた駒。私はそのときになって、ほんの少しだけ自分の心に芽生えていた期待に気づいた。浅ましい自分がたまらなく恥ずかしかった。こんなときに、夫と呼ばねばならぬ他人がそばにいないのは、幸いなのかもしれぬ。

眠れなくて縁にでると、生まれ育った尾張とはまったく違う、山からおりてくる湿った風がほほをなでて通り過ぎていった。

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2011年02月02日

破:手折られぬ花(2)

昼は何くれとなく気を使ってくれるものの、夜の渡りは一度もなく、親しい会話も何もない。そんな様子で一月も過ぎただろうか。

女として、かつ、政的な手駒として。思えば私は無意識にさまざまな不安と、、、そしてある種の期待も持って嫁いできたのだと気づく。しかし、当初はあった緊張も今や保つのが難しくなってしまった。それほどに、小谷の日々は穏やかだった。今までのように自由に動くことはままならず、忍びの手下から市井の状況を聞く機会も極端に減った。一体私は、何をしにきたのか。こんな短い期間でいったい私はどうしてしまったのか。

この一月は私には果てしなく続く牢獄にも感じられた。かといって、、、兄の顔がちらつけば、あまり無茶もできない。以前ならあった「私のすることであれば、兄は何でも許してくれる」という無邪気な自信も、浅井への輿入れが決まってからの兄の態度で今は揺らいでしまっている。

私はすっかり腑抜けてしまい、小谷の景色を眺めながらぼうっとしていた。


先ほど侍女が「殿がご機嫌伺いにいらっしゃる」と告げに来た。

長政はこうした筋だけは通す、まめな男である。それがかえって私を苛つかせていた。信長の妹だから、断れずに頂いた、結局そういうことなのだろう。いや、それがこの時代の正当な夫婦のあり方だ。嫡男は残さねばならぬはず。ならば、そのうち夫婦となるのではあろう。いや、、、やはり、このまま捨て置かれるのか、、、。

私の脳裏に兄の正室、濃(のう)の方の姿が浮かんだ。

政略結婚のために送られた女、兄を見抜いてしまったからこそ、心通わせぬことを決め、それでも政略のため、離縁することもままならず、そうしているうちに実父は実兄に滅ぼされ、その実兄すら今はなく、帰る場所を失った濃の方。孤独に生きていた兄嫁。だのに兄嫁は私に向い、「本当に寂しいのは私ではなくあなたのお兄様ではなくて?」と言い放った。


「姫様、殿のお渡りでございまする。」私は居住まいを正し、傅(かしず)いて待った。じきに長政が入ってきた。

「姫様にはご機嫌うるわしゅう。」いつもの挨拶。この後、当たり障りのない話だけれど、この青年の博学と、溢れる才気を感じさせる世間話が続くのだ。隣国の話、領内の様子、城中の出来事、時には珍しい手土産を携え置いて帰ることもあった。どれもこれも、この青年の瑞々(みずみず)しい感性と才能を感じさせ、私は、話自体は好ましく、面白くも思っていた。

けれど、、もうこうした形だけの話はうんざりだ、、、。どういうつもりでいるのか。白黒つけずに置かない性分がむくむくと頭を持ち上げていた。なんとおろかな女だったのだろう。


「殿。」話をさえぎって呼び止めた私に長政は言葉を止めた。別に驚くでもない、怯えるでもない、ごく自然な佇まいに私は苛つく。

「殿、私の輿入れからもう幾年でございましょうね。」私は嫌味のつもりでそう問うた。
「さて、いかほどでございましょうか」長政は特に驚いた様子もなく、さらりと応える。

「正室の婚儀の日をお忘れか。」言葉を少しだけ荒げて問いただした私に、長政はちょっとおかしそうに
「はて、先に問うたのは姫ではござりませんでしたか」とまたしても、さらっと返す。
、、悔しい、、、。

「察するという心根をお持ちではないと見えますね。ここ小谷のお方は。」
「これは、これは。姫には何ぞご無礼仕りましたか。山育ちの無骨者にて、ご免下さいますれば。
 至らぬ点ございますれば、どうぞお叱り下さいませ。」
飽くまで慇懃だが、少し笑いを噛み締めているような長政の態度に、私は拳を握り締めたままふるふると悔しさのあまり震えだしてしまった。私にこんな失礼な物言いをする男は今までにいなかった。

「では、はっきりと申しましょう。長政殿はこの市を、どう処されるおつもりか。
 この一月、私がどのような心持でおったか、そなたわからぬとはいわせぬぞ。答えて見よ。」
「、、、正室としてお迎えいたしておりまする、、、。
 というお答えでは、ご満足いただけないのでしょうね、姫。」
突然口調が代わり、先ほどとはうって変わって微笑みの消えた長政の顔があった。

「では、問いましょう。姫こそどういうお気持ちで長政にお輿入れなさいましたか。
 お兄様の命で仕方なくではござらぬか。
 姫様のお噂はかねがね聞き及んでございまする。
 今まで幾多の婚儀を潔しとせず断られてきた由、その心根の中に何がございまするか。
 姫ほどの美しさであれば、惹かれる男はあまたございましょうに。
 なぜ長政のもとに参られた?
 政略として心ならずもお越しいただいたのであるならば、
 長政そのお気持ちのみありがたくお受けいたしまする。
 姫は正室として大切にお守りし、信長殿は義兄として大切に敬いましょう。
 姫の気高きお心、手折るような不埒はいたしませぬゆえ、ご安心召されよ。」

、、、、負けた。。。呆然とした私がやっと思い浮かべた言葉がそれだった。
この男、お兄様の臣下として仕えていたどの男より遥かに懐の深い男なのだ、きっと。


固まる私の前で、長政はまたもとの微笑を讃えた青年に戻っていた。

「姫様、本日はこれにて失礼仕る。お気を損ねた段は平にお許しを。」
飽くまで信長の妹として、正室である私を一段高く接する男に私は声をかけた。

「長政殿、礼を申す。
 また明日からもお立ち寄りいただけようか。」
なぜそんな言葉がでたのかわからない。
けれど私の言葉に長政はにっこりと微笑んで
「無論、お立ち寄りいたしまする。」
そう応えて去っていった。

posted by 臥待月 at 09:23| Comment(0) | 市の巻 明日紡ぐ者 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月03日

破:明日を紡ぐ(1)

思えばどう考えても失態をさらしているのは私のほうだった、、、。
このやりとりで、私は何か力が抜けた気になった。ある意味開き直ったのかもしれない。
長政がきてもあまり力んで迎えることもなくなった。

◇◇◇

それからはぎこちなさが取れた分、長政が訪ねてくるときの話が穏やかで弾むようになったと思う。今までは聞く一方だったのが、私のほうからも話をしたり、続きをせがんだりすることが多くなり、長政の一方的な話から会話とよべるような体裁になっていった。

話をしているときの長政の楽しそうな眼、戦国を感じさせない穏やかな表情。全てのものを慈しむような話しぶり。私はいつしか、この時間に安らぎを見出すようになっていった。そのうち話題は表面的なものから、かつて私が兄としていたように、お互いの人生観を語るような深いものへと変わっていった。


あるとき長政は語った。昔心ならずも長政に嫁いできた少女の話。長政にとっては心に沿う婚儀ではなかった。少女の父親は浅井が心ならずも従っていた主の臣下であり、婚儀は浅井を佐々木六角氏の配下にするに等しいことだった。

少女は自分の立場を心得ていた。決して望まれていないことも。
形ばかりの夫婦となり過ごす日々が始まった。少女はそんな中でも健気に凛として生きていたという。その頃は長政のほうが人質あがりの立場であり、婚儀も小谷ではなく主である佐々木六角氏の観音寺城内で行われたという。姫としては実家で婚儀を挙げるようなもので、心細さは嫁いできた市よりよほど少なかったであろう。

しかし。

「寂しそうな表情に胸が痛んだ、、」と長政はいった。だからこそ「決して関わらぬ、一切手を出さぬ」と思っていたのだとも。
娘は小谷に連れ帰りこの清水谷の屋敷にすまわせた。しかし長政はいつか佐々木六角氏を破り、佐々木の支配から浅井を抜け出させるのだと誓っていた。そしてそのときはこの少女を親元に送り返すときであることもわかっていた。


少女は心清らかな優しい姫であったという。見目もあどけなく美しく、境遇がこんな形でなければ、もっと温かく接したかった、普通に夫婦(みょうと)として慈しみたかった、と長政は言った。

「姫も少しづつ私に惹かれていたように思う。うぬぼれかも知れないが、、、。」
そうも長政はいった。
「抱かないことがせめて、私にできることだった。」
、、そういうと長政はしばらく押し黙った。

「他の女の話などして、すまなかったな、、。」
自分でも気づかぬうちに、不安げに長政を見つめている私がいた。
気づいた長政がそういった。

私の中で長政、が長政様に変わったのはこの頃だったのかもしれない。心のうちを打ち明けてもらえるようになった嬉しさと、昔夫婦であった少女への嫉妬と、目の前の人に感じはじめた愛しさと、、。

私の心は複雑に乱れ始めた。
posted by 臥待月 at 00:31| Comment(0) | 市の巻 明日紡ぐ者 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする